山中峠
古くから奈良・京都から北陸・東北に入る北陸道は,この山中峠(標高389m)を越えた。
奈良時代には,近江から野坂山地を越えて松原駅(現敦賀市)に達した北陸官道は,樫曲・越坂・ウツロギ峠へと小坂を登り降りし,五幡(いつはた)・杉津を経て大比田・元比田へと進み,山中峠を越えて鹿蒜(かひる)駅に達した。この駅は旧鹿蒜村大字帰(かひる)(現南今庄)に比定されている。このことは大伴家持の歌に
可敞流廻(かへるみ)の道行かむ日は五幡の
坂に袖振れわれをし思はば (万葉集巻十八)
によってうかがえよう。「可敞流」は鹿蒜川流域の地のことであり,山中峠越えを五幡越えといったと考えられている。
また,山中峠から木ノ芽峠一帯の山並みを「かへる山」として,古歌が数多く詠まれている。
平安初期の天長7年(830),木ノ芽峠越えの新道が開かれた。この道は国府(現武生市)への直線に近い峠であったので,このコースに北陸道は移ったものの,山中峠越えはその後も引き続き利用された。
平成10年4月
万葉の道辺を探る会
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撮影地近辺の地図(黄色→北陸本線旧線,黄緑色→北陸自動車道,赤色→現在の北陸本線(そのうちの桃色部分は北陸トンネル))
この地図の作成に当たっては,国土地理院長の承認を得て,同院発行の数値地図200000(地図画像),数値地図50000(地図画像),数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平22業使,第251号)