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道徳の時間,最終回

1988年度 金石中学校 3年7組 学級通信「elan vital」
第145,146号(1989.3.7発行)

 道徳の時間,最終回ということで,最後のお話と作文の時間。
 これまでにたくさんのテーマで話をしてきた。どんな事をいつしたかをあまり覚えていないが,いくつか,と言うより大部分は学級通信として資料がいっていると思うので,それを振り返れば出てくるだろう。思い付くままに書いてみると‥‥
 ・道徳の時間は何の時間か
 ・生と死について−かけがえのないこの自分−
 ・内申書と内申書裁判
 ・自主自律とはどういう事かということで数え切れないほど
 ・掃除の事
 ・合唱コンクールの事
 ・文化祭の事
 ・勉強の事,そして入試の事,受験体制の事
 ・悪いことと困ったことの話
 ・アパルトヘイトとは何か
 その他いろいろある。
 これらのテーマを分析してみれば,いったい僕は何を言いたかったのかが見えてくるだろうが,自分でもその時時に必要なことをしゃべっていたわけで,そんなに首尾一貫していたわけではない。

 しかし,3月のこの時期になっていま想うことは,もう少し一人ひとりがしっかりした考え方を持っていたなら,そして,もう少しでも一人ひとりに思いやりがあったなら,クラスの雰囲気も変わっていただろうし,過ごし易くていいクラスになっていただろうと言うことだ。

 それは,わがままや,無配慮や,自分勝手や,いい加減な事を中心的になってやる者の存在,人の悪口を言ったり,差別的な言動を中心的になってやる者の存在,勤労意欲も,真面目さも,ルールを尊重しようという公正心もない者の存在,まずはそれ自体に問題がある。
 しかし,それのとりまきにも問題がある。
 まずは安易に同調するもの。「そうね,そうね。」と口裏を合わせるもの。安易な気持ちで同じ事をするもの。つまり付和雷同の者だ。
 そして傍観者。いじめられているものを私は知りませんよ,関係ありませんよという顔で,そ知らぬ顔で見ている者。同調者とまではいかぬが,もしも自分がここで口を出せば,今度は自分の方が被差別側に回るからと黙って見ている者。
 そんな付和雷同の者と,傍観者が事態をますます悪化させてきた。

 もう少しひとりひとりに優しさがあれば,どうにかなったことも,心無い人たちのせいでぶち壊されたことが多かった。最後の最後までね。
 本当にこの時期にきてこんな事を言うのは寂しい限りである。

 それから,人に言われないと,何か制約がないと,たたかれでもしないと行動のできない者が多かった。自主自律からは程遠く,ルールを無視するだけの者も多かった。
 掃除の時間も,昼食時間も,おまけに朝学習の時間までもが何らかの制約がないとできないという人たちばかりであった。
 ここ数日間の様子を自分達で思い浮かべるがいい。実に各自の本性が現れているではないか。
 掃除の時間に着替えない者,掃除をさぼる者,昼食時間に勝手に席を変わる者,授業中のプリントが白紙のままの者,朝学習の提出率は制約付きの座席替えが終わったら突然80パーセントぐらいになってしまった。本当に,校訓「道義を重んじ,自主独立の精神を養い,協力一致事に当たりましょう」などというのから程遠い人たちの集まりではないか。

 結局それは一人ひとりの心の問題であって,言っても分からないものは,よっぽど自分の人生で大きな失敗でもしなければ分からない。
 
 この後進路が決まれば,各高校の担任の先生宛に3年間の成績や行動についての記録を送ることになる。それには今後の事もあるので,しっかり欠点を書かせていただく。まあ,これぐらいの制約でもなければ,(あっても,)なにもできんだろうな。(しかし,それにしても学校というのはその手の書類だらけで恐ろしいところだ。成績や行動の書いたものはこの後20年間は残さねばならない,という法律がある。担任の書いた「わがままで,人に対する思いやりに欠ける。」という文が君たちが35歳になるまで学校の耐火金庫の中に収まるというわけだ。たとえ35歳の時にはわがままをやめて,人に思いやりのある優しい人になっていようとも,金庫の中に書類は眠る。あーおとろしい!)
 しかしまあ,願わくば,高校の3年間を無事終了していただきたいものである。

 何にしたって言っても分からない子は言っても分からないし,実に絶望的であるし,教師ほど虚しくばかばかしい商売もないのだ。

 しかしこう言っちゃあなんだが時として「親の顔がみたい」と,ときどき思うものである。たいていの性格は5歳までに固まってくると思う。それは,自分で子どもを育ててみればわかるし,(ちなみにウチの子は現在8歳,小学2年生と,6歳,幼稚園年長組)おまけに教師として担任をした子が300人,数学を教えた子が1000人,まして同じ学年として同じ学校にいたとして顔を知ってる子が2000人からになると,その中でどうしてこんな子に育っちゃったんだろうと思って過去の親の対応とか環境,その育て方なんかを聞いて調べてみると本当に小さい頃の育て方と言うのはとても大変な影響があるものなのだ。
 まあ大体が5歳までに身についた習性,性格はちょっとやそっとでは直らない。5年間で身についたことはそれと同じ5年間以上なければ取り戻せない。いやもっとだ。その2倍から3倍の期間がなければ直らない。5歳までに身にしみついたわがままや自分勝手は5年たてば10歳,15年たてば20歳,それまでになおればまあいいほうだ。よっぽどまわりの環境に影響されれば10歳までになんとかなる。でも6歳からは小学校に入ってしまうし,だから学校の教師の責任も半分あるといえば言えるわけで,中学校卒業までに人への思いやりなんかが身につかなければ,さっきの取り戻す時間から言えば20歳までになんとか思いやりのある子に育てばよっぽどまわりに影響力のある人がいたということだし,3倍の時間がかかるとすれば,60歳,つまり定年退職の段階でも人への思いやりもなく,結局人に嫌われるまま一生の大部分を終わるということにもなる。とまあ否定的なことを言ってもオレはそんなことにはならないよと自分で言うのならもう言いようがないのでそれまで。

 だいぶん話がそれたが,いま言っているのは道徳の時間にどんな事を言ってきたのかということである。
 思い付くままにいま文章を書いている,というよりワープロのキーをたたいている,ので,話はいつものようにあっちへ行ったりこっちへ来たりだが,しかし,自分で気が付かないものはもう親も教師ももうどうしようもないのである。特に18歳を過ぎればね。親の教育責任は18歳までだと思う。今のようにみんながみんなして高校へ入れようとする時代,高校卒業の18歳までが親の責任だと思う。それ以後は本人に責任をとっていただくしかない。

 今の時間のお話は,いったいこの1年間何の話をしてきたかということだったのであった。
 自分でも一貫したテーマはよくわからないと書いたが,無理矢理いくつかにまとめてみると‥‥

 この1年間言ってきたことは

 自分自身のことをよく知れ

 自主自律の精神を身につけよ

 思いやりをもて

 広く世の中のことをみよ

 自分のこと,人のこと,人々のこと,とそういう次元かも知れぬ。

 卒業文集にも自分ではいろいろと書いたが,まあ読んでみてほしい。
 この1年間の道徳の時間を振り返って,自分としてはいろいろと言ってきたが,右の耳から左の耳へとただ通り過ぎ,おまけに性格はさらに悪く,思いやりにも欠けるような人間になってしまった君に,心よりの同情をして1年間を締めくくることとする。願わくば,君の人生の失敗が,できるだけ少なくてすむようにと,君の未来に君を愛する人が現れてくれるようにと‥‥

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