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受験の世界のきびしいお話

1990年度 金石中学校 1年5組 学級通信「Sophia」
第82,83号(1990.11.15発行)

 ということで,今日は1年生の君たちに受験の世界のきびしいお話です。
 もう1年生からこんな話?と思うかも知れないけども,でも今の君たちを見ていると,今から2年後に力いっぱい後悔をして,今から2年4カ月後には涙の15歳の春を迎えている人がたくさん出てきそうなので,少しばかり自覚をしてもらいたくて今日のこのお話です。
 今の君たちに
「高校へ入りたいですか?」
 と聞くと,もうほとんどの人が「入りたいです。」と答えるでしょう。
 初めから就職をしようという風に考える人は,現在ほとんどいません。
 そういう世の中になってしまいました。
 それでも中には家庭の都合でどうしても就職しなければならないという人や,家業をつぐことに決まっていて,仕事をしながら定時制高校に通うという人がいます。
 そういう子を私も何人か受け持ちました。
 そういう風に初めから目的をもち,就職をする人はしっかりした考えの持ち主なので,担任としても特に心配はしません。
 そうか,がんばれよ。
 でも,勉強しようと思ったら,今の世の中,いくらでも高校へも入れるし,大学の受験もできる。
 大事なのは,いろいろなことを学ぶ気持ちを忘れないことだよ。
 そして,世の中へ出る君こそ,みんなよりもまず一番にいろいろなことを学ぶことになるだろうから,がんばれよ。
 そんな風に励ましてあげればいいし,また,そんな子こそ,そういうことをよくわかっています。
 その子のとにかくがんばろうというその気持ちを大切にしてあげて,周りがみんなしてどの高校を受けるとか,入ったとか,ただ無邪気にも人の気持ちを考えないではしゃぐことに,チラリと警告をする,そんなことしか担任にはできないのでした。
 でも,一番困るのは,目的もなく,とにかく高校に入りたいという人です。
 そして何が一番困るのかというと,そういう人に限って,全然これまで勉強をしていないのです。
 難しく言うと,高校というのは高等教育機関です。
 つまり,中学校までは義務教育で,みんな同じ内容を学び,これから社会で生きていくための基礎を中学校までで身につけるのですが,高校では,中学校のレベルを超えた特殊なこと,難しいこと,専門的なことを学ぶところです。
 つまり勉強をするために高校にはいるのです。
 それなのに,勉強が嫌いで,やりたくもないのに高校へだけは行こうとするのです。
 さて今の君たちはどうでしょうか?先ほどの「高校へ入りたいですか?」という質問を変えて,
「高校で勉強をしたいですか?」
 と聞き直すと,さて何人の人が,「はい,高校でもっと難しいことを学びたいです。」と言うでしょうか。
 もしかして君たちは,ただ単に高校へ入りたいだけなんだ,という考えかもしれません。
 でも,その考えは,別に否定しようとは思いません。
 人生は長いですし,高校で,もしかしたら自分の新しい可能性を発見することだって多いにあり得ます。
 私自身としては,15歳くらいの段階で,早くも自分の行き先を決め,職業を決め,将来の設計まで立てるというのはきっと無理な話なんだろうと思うので,なんとなく高校へ行ってみたいという考えは否定しません。
 ただ,高校へ入ったら,アルバイトするぞとか,遊びまくるぞとか,そんな目的はやめてもらいたいものです。
 そんなのはちょっとしたおまけでいいのです。
 しかし,高校へ入ったら,何か新しい自分が見つかるんじゃないか,そんな期待なら私は否定しません。
 だから,3年の担任をしたときには,私はあまり,実業系(工業科,商業科,農業科など)の高校を勧めません。
 もちろん初めから目的のある子ならば,好きな学科にしなさいというけれど,公立高校ならどこでもいいからなんていう子には,では入りやすい県立の××科にしなさいというよりも,私立の普通科にしなさい,と言います。
 で,そんな風に高校へ入ろうとする子の気持ちというのはいろいろなんです。
 でも,ここから先が問題なんです。
 先ほども書いたように,高校は高等教育機関です。
 中学校までの基礎の上にたったことを学ぶのですから,中学校までの内容は,しっかりと理解しておかなくてはなりません。
 そして,そのために高校入試があります。
 ということは,ただなんとなくという,動機がちょっといい加減な人でも,最低中学校の学習内容を理解しておかなくてはならないということです。
 中学校までの学習内容の理解なしには,ただなんとなくと言っても高校へは入れません。
 今の入試制度では,高校入試に合格しないとその高校には入れません。
 そしてまた,石川県では,しっかりと高校にランクづけができています。
 誰でもどこかの高校には入れるというのではなく,平均何点ぐらいならこの高校というような,どうしようもなくきびしい状況ができあがっているのです。
 この現状を打開するのは並み大抵の事ではありません。
 当分の間はできないでしょう。
 中学校の教師の力では何ともできません。
 まあ,一番の問題はどこでもない,母親の心の中にあると思うんですけど。
 それはいいとして,とにかく,ここしばらくの間,高校入試の問題点は簡単には解決しません。
 高校全入(希望者はみんな高校に入れる)というような案もありますが,今の中学校の現状から考えると,そりゃあ高校の先生は苦労するだろうなと思うだけです。
 かけ算,わり算もろくにできない子が,どうやって高等教育を受けるのでしょうか。
 なーんて,なんと過激なことを書く私。
 もしも,高校全入をするのなら,アメリカ流に,入学はとってもやさしくて,進級と卒業がとっても厳しいというのにしなくては意味がありません。
 高校1年の内容が理解できていないのなら,つまり進級テストに受からねば,2年になれないということです。
 つまり落第ということですね。
 そんな制度でなくては,高校全入なんて意味がない。
 つまり,勉強しなくては,卒業はできないということにしなくては意味がないということです。
今の日本の高校も大学も,入試ばかりがやたら難しくて,卒業はやたら簡単。
 大学にいたっては,アルバイトに明け暮れて,講義もろくに出席せず,ノートもろくにとらず,大学卒業しても外国語もろくにしゃべれない,そんな卒業生を生み出しているのだから,国家予算のムダ使いです。
 なんてなことを言うのが本日の本題ではなくて,要するにだね,学ぶ気持ちのない者は,高等教育を受ける資格がないんじゃないのか,ということを言いたいわけだ。
 一言で言えば,とっても簡単なのにね,何をくどくどと思うでしょうが,簡単なことをもっと簡単に言うことほど難しいことはないのだよ。
 それで,現実はというと,この入試制度はとてもゆがんではいるのだが,しかし,学ぶ気持ちがあるかないかということはある程度は試されているということなんだ。
 つまり,高校にランクづけはあるんだけど,でも,これまでに学んだことを入試に出しているわけで,都会のわけのわからん変な私立高校じゃあるまいし,ごく普通の内容が入試問題として出されているのです。
 で,学んだことを普通に理解していれば君はきっとたいていのいろんな種類の好きな高校にはいれます。
 じゃあそのランクづけで振り落とされる人はというと,やっぱり勉強してこなかった人といえるんじゃないかと思います。
 みんなには同じように能力があります。
 小学校の成績を見たってそうなんです。
 1年生の4月にした算数のテストでもそうです。
 みんな似たような点数なんです。
 でも,半年以上が過ぎた今,どんどん差が広がっています。
 小学校と中学校で一番違うところは何なのか,というと,先生というのが,君たちをどんどんほったらかしにするということです。
 じゃあ,ほっておかないで,細かく細かくみてくれて,とことんわかるまでつきあってくれればいいじゃないかと思うでしょうが,逆に君たちの心の中に,そんなことしてくれなくても,自分自身でやっていきたいという気持ちが芽生えてくる年頃でもあるのです。
 そこらへんの兼ね合いがとても難しいのです。
 いろんな人間がこの世にいるように,いろんな教師がいるので,君たち1年生にとってはむしろ徹底的に管理された方がいいのかなあ,なんて思うけど,いかんせん君たちの担任は,このようにくどくどと,じわじわと,ねちねちと,ついでに,自分でやらないやつなんて知らないよ,などと冷たいので,受け持たれた君たちは不幸にも,自分で自主的にやっていく方法を考えなければならないのでした。
 それで,自分で学ぶ力を身につけた子というのは,どんどん伸びていくのですが,では,どんなことが,自分で学ぶ力なのでしょうか。
 せめてこれくらい言っておかないと,あまりにも冷たいので,思い付くままにあげてみると,次のようなことがあります。
@朝学習にしっかり取り組む。
 どの教科でも,丸付けをしっかりする。
 わからない答は,最低模範解答を写しておく。
 数学なら,途中計算までもしっかり書く。
  社会なら,記述するところを自分のことばで書く。
 わからなかった漢字や英語の単語は何回でも書いてみる。
A授業をしっかり受ける。
 ノートをとる。
 わからないことを質問する。
 人の意見を聞く。
 必要ないことを人にしゃべらない。
B自習時間を大切に,有効に使う。
 与えられたプリントにしっかり取り組む。
 これは朝学習のときと同じ。
 時間が余れば,プリントの確認や,他の教科の予習復習などをして,50分間をむだにしない。
C宿題を必ずこなす。
 たったこれだけのことをするかしないかでも,3年間では平均点で50点以上の差が出てきます。
 入学したときには,わずか10点の差があるかないかだったのに。
 そしてその平均点で受ける高校が決まってしまうというのだから,今の受験というのは恐ろしいものなのです。
つまり,1日1日を大切にしないととんでもない目にあいます。
 そんなことわかってる,と言っていても,もうすでに,1年生の2学期からその差が広がりつつあります。
 そして,それをわかっていない子が,この5組には多すぎるような気がしてなりません。
 上にあげたことの反対のことばっかりしている子がたくさんいます。
 そんな子は,今一度自分で学習に取り組むとはどういうことなのかを考え直してほしいものです。
 最後に,言ってもわからない子のために,現実を見せてあげましょう。
 これまで,10年の経験の中で,3年生の担任は4回しましたが,その中で,一昨年(1988年)の3年生の子のためにつくった学級通信です。
 そのタイトルは「elan vital」(いのちの翔び立つ力)。
 さらにその中に出てくるのが,1985年の「cosmos」(宇宙)。
 つまり,勉強せんかった子がどうなったのかということを3年生の11月になって示したもの。
もう,その時期じゃあ手遅れだけどね。
 しかし,君たちもついつい点数というものばかりで人間を見てしまうけど,大事なのはそれだけじゃあないんだよということは忘れないでほしいね。
 同じ80点でも,間違い方はいろいろだ。
 点数は,学習の成果のある面を表してはいるが,100点とったからといって中身がよくわかっているとは限らない。
 そういう意味で,君たちの日々の行動は点数にはならないけれども,しっかり見られていると思ってもらいたい。
 またまたおどしちゃうけど,昔の学級通信にも書いてあるけど,掃除もできない者や,人をいじめる者や,自分のことしか考えない者や,特定の級友を仲間はずれにする者なんて,誰も自分の学校に入れたいなんて思わない。
 だってそういう子が,よりよい社会をつくっていくとは思えないじゃない。
 そういう子をまともにするのが教育なんだと言えばそれまでだけど,その子のよくなる可能性を信じないのかと言われればそれまでだけど,12年間でできた性格は,12年かけなきゃ直らない。
 突然受験の世界の話とちがってきたけど,まあこれはおまけの話。
 じゃ,資料の説明にいくね。

 (以下資料は省略です)

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