金沢桜百景

中橋陸橋 跡(なかばしりっきょう  あと)

 昭和町

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公園から見るJRの高架橋

 ここはJR北陸本線を間近に見る昭和町の小公園です。
 現在はJRは高架上を走っていますが,以前はこの公園と同じ高さのところを線路が走っていました。
 そして,その線路を跨ぐ陸橋がありました。

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公園のすべり台の上から

 桜の後ろに見える高架が現在のJR北陸本線です。
 JRと直角に交わる道路(金石街道)は現在平面上を走っていますが,ここにJRを跨ぐ陸橋がありました。
 陸橋のところはお隣の中橋町です。

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公園の桜と中橋陸橋の碑

 道路(金石街道)側から公園を撮影しました。
 桜の木の根本には碑文(下に掲載)と陸橋に使われていた親柱の一部が記念に残されています。

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中橋陸橋の親柱の一部分

 親柱です。

(2004-04-04撮影)

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★中橋陸橋跡の顕彰の碑の碑文★
 昭和34年(1959年)3月,折違町から中橋町にわたって,北陸本線を跨いで通る陸橋が建設された。
 中橋陸橋である。
 当時は鉄道が現在の道路の高さで通っており,この金石街道とは踏切で交差し,毎日渋滞が続いた。
 そこで鉄道を跨ぐ道路橋が建設されたのである。
 陸橋の長さは約282m,巾は9.2m,勾配は5%あり,最も高い部分で,今の道路高さよりもおよそ6.5m上を通っていた。
 陸橋は自動車専用で,自転車と歩行者は鉄道の下をくぐる地下道を通った。
 地下道は巾4mあり,それぞれの側に階段2カ所,スロープ1カ所が設けられていた。
 陸橋は旧市街地と駅西地区を連絡する大動脈として,県都金沢の経済文化活動に大きく貢献したが,昭和50年より着手した金沢駅付近連続立体交差事業による北陸本線の高架化により,平成2年(1990年)取り壊された。
 ここにこのことを記念し,旧親柱とともにこの地に永く顕彰することとした。
             平成2年秋
                  石川県  

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