金沢桜百景


田上交番跡(たがみこうばんあと)

 所在地:田上町

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田上交番跡

 ここらあたりはかつての河北郡浅川村の中心地でした。
 向かいには村役場の跡(その後金沢市役所の出張所となりましたが,取り壊されました)があったり,郵便局があったりしました。
 今ではその歴史を知る桜がひっそりと咲いています。

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田上交番跡

 これはその向かいの浅川村役場跡の脇の,この地の発展に功績のあった本多氏の遺徳をたたえる石碑です。
 このすぐ近くに母親の実家のあった私は,小さい頃よくこの石碑に登って遊んだものです。
 かつて村役場だった建物も,歴史的な建造物でしたが,アパートが建つということで取り壊されてしまいました。建物の上からは,正午になると大きな音のサイレンが鳴り,あまりの音の大きさに,いつも耳をふさいだものです。

(2009-04-11撮影)

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★浅川村★
 江戸時代の河北郡金浦郷・小坂庄・井上庄の一部,湯涌郷に相当する。
 明治の市町村制施行により金浦村・湯谷村・医王山村となったが,1907(明治40)年8月合併して浅川村となった。
 合併前には折谷・魚帰(うおがえる)・湯谷原(ゆやわら)・小豆沢(あずきさわ)・戸室別所(とむろべっしょ)・戸室中山・小原・大菱池(おびしいけ)・小菱池  (こびしいけ)・新保・俵等(たわら)・角間・若松・上田上・下田上・鈴見(以上旧金浦村),横谷・板ヶ谷(いたがや)・石黒又・古郷寺・栃尾・町(まち)・平下(ひらしも)・袋・上中・銚子口・谷口・平等(たいら)・上山・北袋・東市瀬・藤六(とうろく)・朝ヶ屋・下荒屋・野・打尾谷・木目谷(きのめだに)・炭釜(以上旧湯谷村),二俣・荒山・田島・戸室清水・南原(以上旧医王山村)の部落があった。
 その後1957(昭和32年)4月金沢市に編入された。
 (石川県大百科事典,1975,北国出版社刊  より)

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