多生の縁

 教員という仕事の魅力の一つは子供たちとの出会いであろう。いや,教員であろうとなかろうと,誰か人と出会うということはきっと奇跡のようなことなのだ。
 暮れも押し迫った12月30日に以前勤務した中学校の卒業後15年目の同窓会に招かれた。みな30歳である。自分の学級にいた生徒会長の女の子が幹事だった。
 彼女とは年賀状のやりとりもしていたが,10月頃に連絡があり,あの頃の教員の所在を知らないかという問い合わせがあった。
「先生とつながっていなければ,ほかの先生方ともなかなか連絡が取れなかったわ。」
 とは彼女の弁である。これも縁というやつだ。
 その学級で手を焼いた女の子も参加していた。そして,すぐさまやって来て
「先生,あの頃はお世話になりました。ありがとうございました。」
 と言う。
「ばーちゃんが『何はなくとも坂根先生には謝ってこい。』って言ってました。」
 と半分笑いながら言う。そういえば何回家庭訪問をして,ばーちゃんに会ったことやら。そんな彼女も縁あってしっかりと結婚し,三児の母である。
 名古屋でベリーダンスを教えている女の子が余興でダンスを披露する。あの頃からは予想もできない。途中で打ち合わせもなく前に引っ張り出されてベリーダンスのまねごとをさせられる。
「先生ならきっとのってくれると思ったわ。」
 とのことだったが,おじさんはその若さについていけない。名古屋暮らしもベリーダンスも何かの縁があってのことだ。
 そして二次会は教え子のやっている店へと行く。店から同級生たちはあふれ,外での立ち飲みをする者多数である。顔が丸くなった者,反対にやせた者,かなり身長が伸びた者,会社員として苦労しながら働いている者,それぞれに旧交を温めている。
 誰彼となく話をしにやって来て
「先生,俺まだ独身ねんけど。」
 と言う彼は充分にいい男なんだが。こちらは少々縁が足りないのか。
 とうに12時は回り,日付は大晦日である。いよいよ三次会に繰り出すという。後は彼らに任せておじさんは退散することとする。
「いやはや今年もいい一年だったな。『多生の縁』は大切にしなきゃ。」
 などと思いつつ,しばし夜の金沢の街を一人歩いた。

(金石中学校 学校文集「うしお」 2016年3月)

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