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金石旧町名の由来

Kanaiwa old towns

 宮腰は金沢城下の外港として発展してくると,近世中期には町としての実態をそなえてくるようになりました。宮腰が町立てされるとそれに伴い町年寄の職が置かれました。そしてその負担する役の種類から大きく本町(ほんまち),地子町(じしまち)と冬瓜町(かもりまち)の3つに区分されました。
 本町は上本町,下本町,新町,味噌屋町,横町,海禅寺町,重胆寺町,達磨町,長田町,長田後町,今町の11町,地子町は上通町,下通町,湊町,上浜町,浜町,松前町,御塩蔵町,新潟町,上越前町,下越前町,鉄砲町,上寺町,下寺町,上新居浜町,下新浜町,古河町の16町が含まれました。
 また冬瓜町は近世を通して単独の区分を保っていました。この町は1622(元和8)年,石見国の漁民を招き,漁猟従事を条件として一人に屋敷四十歩を与え,諸役を免除して居住させたのが始まりとされています。
(以上「金沢市史」による)


 金石町は1968(昭和43)年に従来の31町を東・西・北に区分改正しました。それでも現在も旧町名で町会は編成されています。その旧町名の由来です。
出典:『写真でたどる金石今昔』金石町公民館,1993
 なおこの本には「“町名の由来"について資料は俣田隆志氏よりいただきました。」とあります。

通町(とおりまち)
 江戸時代は上通町と下通町に分かれていて店屋も多く,人通りも多かった町である。

湊町(みなとまち)
 江戸時代はこの辺りに川が流れていて御塩蔵へ入る船が着いたところからついた町名。

御塩蔵町(おしおぐらまち)
 加賀藩の塩蔵が建っていたことからついた町名。

松前町(まつまえまち)
 北海道松前と船で商売をしていた人達が住んでいたところからついた町名。

新潟町(にいがたまち)
 新潟方面と商売取引き交していた人が住んでいたためにつけられた町名。

上越前町(かみえちぜんまち)・下越前町(しもえちぜんまち)
 江戸時代に福井と取引きをしていた人達が住んでいた。以前は越前町と呼ばれ,日本の地図を作った伊能忠敬もこの町に一泊しており,下越前町は家も大きかったので荒町と呼ばれ,上越前町は出町と呼ばれていた。

御船町(おふねまち)
 加賀藩の御船手足軽が住んでいたためについた町名。明治に入り免許地となり遊郭や芝居小屋が建ち繁盛の町であった。

鉄砲町(てっぽうまち)
 細長い町の地形が鉄砲の形に似ているというので,ついた町名。

相生町(あいおいちょう)
 慶応2年に大野と宮腰が合併した時,できた町で遊郭や芝居小屋,料亭が建っていた。昭和に入ってから涛々園(とうとうえん)ができ,賑わった町であった。

冬瓜町(かもりまち)
 江戸時代は要川を境として川向いに町があった。宮腰の重要な港口の町であり,この町一町で神輿をかつぐことから古くは神守町と呼ばれていた。

上本町(かみほんまち)
 本町の上口にあるためについた町名であるが,瀬木町や葦原町と同一にされているが別町である。

海禅寺町(かいぜんじまち)
 海禅寺という寺があったことからついた町名で,この寺がいつ頃に上越前町に移転したかはさだかではない。

重胆寺町(じゅうたんじまち)
 重胆寺という寺があったところからついた町名,中山家文書の中に出てくるキリシタンの寺であったという。また,この寺は宮腰絵図の中にも載っている。

今町(いままち)
 町名の由来はさだかではないが,古くより,海から上がられた佐那武の神様が通られたということで夏祭りの時には家毎に竹をかざり,当時の藪を再現する。

達磨町(だるままち)
 達磨寺という寺があったことからついた町名であるが,この達磨寺が南蛮寺でキリシタンであったとの説もあり,また,きれいな水が多く湧き出たことから,酒蔵もあったと伝えられている。

本町(ほんまち)
 宮腰の中心を成していた町で,大店や町年寄,町奉行の役所などがあり町一番の大通りであった。

味噌屋町の石碑 上寺町(かみでらまち)・下寺町(しもでらまち)
 江戸時代は寺が多くあるということで寺町と呼ばれていた。後に上・下に分離されたが,上寺町の一部は御坊町と呼ばれていた。

長田町(ながたまち)
横町(よこちょう)
新町(しんちょう)
味噌屋町(みそやちょう)
上浜町(かみはままち)
下本町(しもほんまち)
浜町(はままち)
下新浜町(しもしんはままち)
などについての由来,定説は不明。

横町の石碑
瀬本町(せぎまち)
 冬瓜町吉川方の横を要川が流れていた頃,その近辺を瀬木町と呼んだ。

葦原町(よしはらまち)
 犀川近くの要川縁の葦の生えていた付近を葦原町と呼んだ。

四軒小路(しけんしょうじ)
 鉄砲町地蔵尊横の小路(現鉄砲町町会)

岩屋小路(いわやしょうじ)
 御塩蔵町より通町へ出る町(現上浜町々会)

古河町(ふるかわまち)
 塩蔵へ入れる塩を積んだ船が通った川があったところからついた町名。今も護岸の一部が残っている。後年,松前町と合併された。

※古文書に出てくる町名(前記以外に)
 塩町・長田後町・下浜町・上新浜町・四軒町・五軒町・出町・御坊町・上通町・下通町