これまでにいただいた「坂根」に関するおたよりです。
町の名前のこと,苗字のこと,いろいろありますね。
みなさんからのおたよりをお待ちしています。
島根出身の坂根さんよりいただいたおたより(2003-07-13)
おたより番号 24
私は島根県邑智郡桜江町田津出身の坂根です。
田津には坂根姓が10軒位あります。
10代以上続いてる旧家もあります。
そのあたりアプローチすると新しい情報が得られるか知れませんね。
家紋は(丸にもっこ)と聞いてます。織田信長公の家紋によく似てます。
田津には家残ってますが誰も住んでません。
坂根姓の親戚は有ります
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大阪の坂根さんよりいただいたおたより(2003-08-17)
おたより番号 25
はじめまして坂根といいます。
はじめてメールをするのですが,このページをみて初めてすごく名前の由来について興味をもっています。
今は大阪にすんでいますが,おじいさんとおばあさんのお墓は京都府与謝郡野田川町にあります。
本籍も野田川町のままです。
お墓参りでおもったのですが,山崎という苗字と坂根の苗字がすごく多いようにおもいます。
過去帳を調べようとしたのですがお寺が丹後地震で全部消失したようです。
それと宗教の話ですが曹洞宗の信者が多いと聞いています。
これは武士と身分の高い人しか檀家になれないとかきいたことあるように思います。
同じ坂根という苗字についていろいろ情報ありましたらお願いします。
今後とも宜しくお願いいたします。
追伸
家紋についても教えて下さい。
私の家紋は二枚柏を重ねたようになっています。
他の人はどうなのかいろいろきいてみたいものです。
☆☆PKPからの一言☆☆
みなさんのところの家紋はどうなのでしょう?
ちなみにうちも違い柏といって,柏の葉が2枚,円の中に交叉しています。
まあこんな感じでしょうか。
☆☆PKPからの追加の一言☆☆
家紋および宗教に関する考察を野田川町の坂根さんよりいただきました。(2003-08-19)
「第11話に入る前に」ということで,記述してありますので,ご覧ください。
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なお,家紋(柏紋)について,野田川町の坂根さんよりおたよりいただきましたので,以下に掲載します。
(野田川町の坂根さんからのおたより特集は
おたより Dです。)
野田川町の坂根さんよりいただいた家紋についてのおたより(2003-08-23)
おたより番号 26
柏紋について調べたのでお伝えします。
柏紋
柏を図案化した紋である。
柏はブナ科の落葉喬木。葉肉が厚いので,上古では食物を盛る食器とされた。
「隋書倭国伝」に「倭人,皿や俎(そ)なく柏の葉を以てし,食うに手を用いてくらう」と記されてあるように,これは外国まで知られていた。
食膳をつかさどる者を,古語で「かしわで」(膳夫)といったことにも関連がある。
食器として神事に使用されてから,柏木を尊重するようになり,「かしは木はもりの神」(「狭衣物語」「枕草子」)として神聖視された。
その後,製陶の技術が進んでも古儀にならい,祭事の神饌を盛るのに用いられたため,瑞祥・信仰的意義から神職の家が柏葉を家紋とするようになった。
大江山のふもとにある大虫神社の神主さんは,野田川町の坂根氏です。
坂根氏と神職の関連性についても11話以降で述べたいと思います。
柏紋を神紋とする神社があるので紹介します。
日御碕(ひのみさき)神社 【島根県大社町】
神饌をそなえる器具として重んじられた柏を紋にする。
一つ葉の柏・二つ葉の抱き柏・三つ葉柏なども神紋に使用。
大幡神社,西宮神社,橿原神社,恵比須神社,山内神社も柏紋を使う。
「梅鉢紋」が天神信仰に由来するように,「抱き柏」と「違い柏」の違いがあるとはいえ,日御碕信仰がかかわっているような気がします。
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山口県出身の坂根さんよりいただいたおたより(2003-08-24)
おたより番号 28
山口県出身の坂根です。
お盆に帰省して墓参りしたときの墓の家紋の写真です。
家紋についての情報があったので自分のとこはどうか気になって見てみました。
これと同じ家紋の坂根さんはほかにいるんでしょうか?
祖母に聞くところによると,私の一家はもともとは広島にいたそうです。
もしかしたら同じ家紋の方は遠い親戚だったりして…。
家紋について引き続き調べてみたいと思います
☆☆PKPからの一言☆☆
この紋は「丸に四方木瓜(もっこう)」というようです。
この家紋の坂根さんはどのあたりに住んでいるのでしょう?
おたよりいただいた島根出身の坂根さんはこの家紋のようです。
(島根出身の坂根さんのおたよりは
おたより24です。)
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なお,続いて家紋(木瓜紋)について,野田川町の坂根さんよりおたよりいただきましたので,以下に掲載します。
(野田川町の坂根さんからのおたより特集は
おたより Dです。)
野田川町の坂根さんよりいただいた家紋についてのおたより(2003-09-02)
おたより番号 27
木瓜紋について調べたのでお伝えします。
木瓜(もっこう)紋
木瓜は,古く御簾の周囲にめぐらした布帛「帽額(もこう)」に付けられた模様が独立したもので,一般に,木瓜(ぼけ)や胡瓜の切口を形どっ たとされるのは誤りである。
この模様は,中国の唐代には官服の模様に定められていた。
二重の外郭の内に,唐花を納めるのが基本であるが,まれに唐花を欠く もの,他の紋を入れるものがある。
また,横に扁平な形(横木瓜)が基本 であるが,外郭の数が増す(五個〜八個)につれ円形に近づく。
奈良時代に衣服・車に模様として使われていて,のちに家紋として用いられるようになった。
保元の乱当時の内大臣,徳大寺実能が車紋としていたことが「大要抄」に記されている。
このようなことから徳大寺氏の家紋とされたのが最初といわれる。
その後,武家の越前朝倉氏が用い,織田氏などが家紋とした。
この紋は,大名・旗本を含め百六十家以上に用いられた。
木瓜紋を用いた氏族に,日下部氏・伴氏・紀氏が知られている。
木瓜紋は五大紋(多い紋)の一つだそうです。
1位 藤紋
2位 木瓜紋
3位 酢漿草(かたばみ)紋
4位 鷹の羽紋
5位 桐紋
木瓜紋の多い理由
木瓜はもともと紀氏や日下部氏の代表紋であるが,これらの氏は,あまり栄えたわけではない。
しかし紋は広まった。
これは,紋の形が大変よいこと,この紋が信仰や子孫繁栄と結びつき,家のルーツにかかわらず,爆発的な人気があったからである。
以上のように,木瓜紋は広く使用されているので,この紋からルーツを探ることは難しいかも知れません。
木瓜を用いている主な系統を抽出しておきましょう。
木瓜紋を用いている系統
○桓武平氏系 織田支流
○藤原氏系 為憲流
○日下部流
○中原流
○伴流
定紋と替紋についても記しておきます。
定紋と替紋
家紋は一家に一個とはかぎらない。
長い歴史の中に,家紋は変わったり増えたりする。
変わる場合は,何らかの事情で本姓を改める,たとえば,生きていくためのカムフラージュなどの場合がある。
増える場合は,たとえば
(1)婚姻で婚家の家紋も採用する。
(2)主家などから下賜される。
(3)記念に新しい紋を採用する(例えば戦勝記念)。
(4)その他。
この中には兄弟の契りの印に,などもある。
だから,家紋の多いことは,その家の歴史にそれだけ重みがある,とも言える。
そのような家で,前々から伝わった古い紋を普通定紋(じょうもん)または本紋(ほんもん)などといい,新しくできた紋を替紋(かえもん)・副紋・控紋(ひかえもん)・添紋(そえもん)などと言っている。
ただし,定紋が格が上で,替紋が低いということはない。
菊,桐紋などを下賜されたときは,すでに定紋があったとしても,菊・桐紋を一格下の紋に扱うことはできない。
私の考えでは,中国地方の坂根氏のほうが丹後の坂根氏よりも古いと見ていますから,定紋は木瓜紋で替紋が柏紋であったり梅鉢紋であるような気がします。
坂根氏の定紋が木瓜紋だとすると,宇都宮氏(巴紋)を祖とすることに矛盾するように見えます。
しかし,宇都宮氏は藤原氏系ということになっていますが,実は古代地方豪族の下毛野氏あるいは中原氏であるとする説があります。
宇都宮氏が中原流であれば,宇都宮氏と木瓜紋にまったく関連性がないとは言えません。
なお,家紋に関する出典は「日本姓氏紋章総覧」(新人物往来社)です。
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