これまでにいただいた「坂根」に関するおたよりです。
町の名前のこと,苗字のこと,いろいろありますね。
みなさんからのおたよりをお待ちしています。
1976の坂根さんよりいただいたおたより(2005-06-27)
おたより番号 63
東京の坂根です(笑)自分のルーツを知り凄く感動しました!!
何となく検索したらこんなに嬉し楽しいサイトに出会えました!
亡くなった父が見たらどんなに喜んだでしょうか?
常々,なんて変わった名字なんだ?と思っていました。
まだ私は親戚以外の坂根姓の方には会ったことがありませんので,山田さんや鈴木さんが他の山田さんや鈴木さんを呼ぶ感覚を知りません(笑)
昔から京都に関心があったので多分それは本能だったのですかね?って別に京都と決まった訳では無いのですが。
一度坂根タウンに行き別の坂根さんを「坂根さん」と呼びたいです!
今年の我が家の旅行先が決まった気がします。
あいにく我が家は女の子しかいませんので東京の坂根の血は薄くなりますが後は他の坂根さんと私の兄弟に任せます!
このサイトを作った方が坂根姓じゃ無ければかなり笑えますが,作ったあなたは坂根一族の誇りです!!
なんか親近感が湧いてしまって長々と失礼いたしましたがまた覗かせて頂くので宜しくお願い致します。
坂根一族に栄光あれ!!
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坂根屋五代目さんよりいただいたおたより(2006-04-30)
おたより番号 64
初めまして。島根県出雲市で
『坂根屋』という和菓子屋を営んでいます,坂根と申します。
西宮に住む二従兄弟より勧められてこのサイトに来ました。
出雲市には,坂根姓はうちの親戚筋だけでなく,遠縁にも当たらないであろうという坂根さんの家が結構あります。うちは僕で五代で代々ココ出雲市で暮らしてきたんですが,うちの本家は(現在東京におられます),元は,出雲坂根より出てきたのではないかとの話です。
しかし,こういうサイトって楽しいですね(´∀`)。ずっとずっと遡っていったら,元は一人の『坂根』だったとか...^_^;
ではまた何かありましたら投稿差し上げます。恐々。
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広島の坂根さんよりいただいたおたより(2007-02-04)
おたより番号 65
こんばんは(~o~) 息子からこのサイトがあることを聞きました。
広島市東区在住です。出身は島根県邑南町です。
我が家は分家ですが,坂根の本家も同じ地区にあります。
親の代は兄弟が多いので,集計表のうち何軒が親戚なんだろうと思うと楽しいですね。
普通の文字なのに,組み合わせとしては珍しい苗字なんですね。
電話などで名乗るときも「タカネ」さんとか,「サカナ」さんと聞き間違えられちゃいます。
他では手に入らない「坂根」の三文判を島根では普通に売っていて,結婚当初はチョット感動したことも。
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鎌倉の坂根さんよりいただいたおたより(2007-11-15)
おたより番号 66
はじめまして。坂根です(爆)
このサイト最高です。少なくとも坂根さんはみんなそう思っているはず。
私は神奈川鎌倉の坂根ですが,本籍は京都府与謝郡野田川町(現在は与謝野町)幾字です。メッセージ欄にも野田川町の方を多く見受けました。お盆の時期に会っているかもしれませんね。毎年墓参りに帰ってました。今は隠居した両親が住んでいます。隣も坂根さん。八幡様の寄付欄も坂根サカネさかね・・・。
みなさん屋号で呼んだり私はじいさんの名前で呼ばれます(笑)。
墓参りですれ違う人にも
「あー,何とかさんの・・・」
「はい,○○です」(じいちゃんの名前で答えます)。
職場で一度だけお客さんで坂根さんがいらっしゃいました。私と顔が似ています。偶然ではないような・・・自分は知らない兄弟だったかも?!
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幾地の坂根さんよりいただいたおたより(2008-09-10)
おたより番号 67
初めまして,京都府与謝野町(旧野田川町)幾地の坂根と申します。
まずは,こんなに素晴らしいホームページを作成してくださった坂根さんに坂根より感謝申し上げます。
奈良の坂根さん出身のお家(織研さん)から,七軒隣に住んでおります。昔は父が坂根ストアを経営しておりました。(奈良の坂根さんのおたよりは
おたより番号8)
ちなみに織研さんの建物は,今はダンススタジオになっています。
さて,幾地には,現在20軒前後の坂根氏が暮らしており,薄くなりましたが,数件は親戚です。
どことどこは親戚なので,幾地の坂根は,実は元々数件だと思います。
遡れば,坂根斎さんに遡るのはほぼ間違いないでしょう。
ちなみに,臨済宗妙心寺派養源院檀家,丸に梅鉢,お正月はぜんざいです。
今は一般庶民の家庭ですが,江戸時代から明治にかけて,庄屋(まだ屋号は本家にあるそうです)でした。
うちの坂根家の墓地は,幾地の安田墓地にございますが,一番高くて見晴らしの良い所です。石碑は約60は有りそうです。勿論,全て坂根です。
うちは分家なのですが,当時(明治20年代)としては立派な祖祖父母のお墓が先頭に並んでいます。あとはかなり古いお墓が多くて,どなたなのかわかりません。
うちの敷地の横下も全部坂根家で,親戚でもあります。こちらも立派なお墓が幾つもございます。
昔はかなり栄えたのでしょうね。
親父から,「今はお金はにゃ〜けど,家柄だけは自慢出来る」と,よく聞かされました。
昭和になって,博打で財産が殆ど無くなったそうです。山や農地が見る見る飛んでいったと聞きます。今の屋敷は,買い戻したものです。
幾地区は,現在,一区,二区に分かれており,(一部三区も)うちの坂根は,元々は一区だったようですが,1927年の丹後大震災で,家が滅茶苦茶に壊れ,今の二区に引っ越して来たと聞きました。
この大震災で引っ越しされた坂根さんは多いと思われます。
幾地城跡横下にある臨済宗妙心寺派養源院の下の坂根さんは親戚です。
昨年,うちの坂根家との繋がりを聞きましたが,詳しく覚えておりません。昔,寺下にあった坂根安四郎さんと仰る方も親戚だそうです。息子さん(もう亡くなられてると考えられます)が,40年以上のかなり昔,訪ねてこられたそうで,大阪で医学博士をされてたみたいです。坂根医院だったと記憶していますが…。
うちの職場では,他の坂根さんも,阪根さんも嵯峨根さんも仲良く働いております。
皆さん,宜しくお願いいたします!
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