鳴和中学校 3年学年だよりPas a Pas No.17 1999.7.6
(金石中学校 1989年度 3年3組 の教え子とのクラス会の話)
今日は楽しかった話をしようと思う。
先日中学校を卒業して10年ぶりというクラス会に招かれていった。その中の一人の女の子とは年賀状のやりとりをしている。で,彼女から連絡があり,クラス会をするので都合はどうかということだった。
しかし,最初の電話がおかしかった。家にいなかったので,家のものが電話を受け取ったのだが,
「先生はまだ先生をしていますか?」
という出だしだったらしい。彼女にはいつも Prince Kochan's Production News などという年賀状を出してるので,もはや教員という仕事を見限って,何かわけのわからないプロダクションなどつくり,仕事をしていると思われたらしい。
さてこのクラス会,総勢20人くらい集まった。クラスの約半分,男女半々くらいである。これだけ集まるのはみんな結構金沢に残っているということである。家業の醤油屋,電気屋,床屋を継いで仕事をしているものもいる。卒業して10年であるから25歳くらいであるが,子どもが3人いる女の子が2人いた。小さい子どもを今日は預けてきたという子,来月生まれるので,先生よろしくとのことづけのあった子など,結構みんな結婚している。ちなみにバツイチが約2名。
中でも当時いろいろと心配していた子がしっかりと社会人であることに安心する。
そんな話題の中で,時々今の中学校のことが話題に上る。女の子が言う
「私コンビニでパートやってるんだけど,今の中学生なんなん?この間も昼間やってきて買い物に来たけどピアスしとれんよ。それで『何年生?』って聞いたら『中学3年生』って答えてんよ。先生あんなん許されるが?何で昼間にふらふらしとるが?」
「おいね,私たちの時は厳しかったよ。ネクタイの長さとか,スカートの長さ。すっごいきちんとしとったよ。今の子ら何考えとらん?」
確かに彼女たちはまともだった。外見をごちゃごちゃ取りつくろう子はいなかった。
それにこのクラス,私は今の学年のようにいきなり3年から持って担任をしたのだ。1年2年の時のことを知らない。しかし,おもしろいクラスだった。当時の学級通信を振り返ってみたら,賞状は20枚くらいもらったクラスだった。球技大会に運動会,文化祭,合唱コンクールとなんでも入賞していた。トロフィーが4つあった。運動能力に優れ,体育関係の大会となると一致団結した。文化系でも秀でる子がリーダーとなりいい作品を作った。
そのとき絵の上手な子で学校文集に担任の似顔絵を描いてくれた子がいたが,その絵は気に入っていて,今でもそれを使っている。インターネットのホームページでもその絵を採用している。彼女も自分の適性を生かし,今ではコンピュータ関係のグラフィックデザインをしているそうだ。
さて,そんな彼らは今の子らを心配する。そしてくどくのである。
一人中学校を卒業してすぐ就職した男子がいた。彼は初めから高校へは行かず就職と決め,進路相談でもこちらに就職先の斡旋を頼んできた。その彼も今回来ていた。彼は言う
「今の若いもんどうなっとるが?」(彼もしっかり若いと思うが)
「だいたいが,仕事を覚えようとせん。楽することばっかり考えとる。バイトで来とるもんなら,やるだけのことやってそれもいいかもしれんけど,きちんと仕事しようという気がない。」
今の若いもんのいい加減さをくどくのである。現在の厳しい就職状況に今の中学生たちは意識があるのだろうか,ということである。子どもの数も少なく,いくつになっても親がかり。親が何とか養ってくれるから自分の小遣いだけバイトして稼ぐ。何とかなるという気分。将来に対する夢もないし,世の中をよくしてやろうという気概もない。職業に対する意欲もなければ,誇りもない。
このような話を聞きながら夜が更ける。2次会も全員で某スナックを貸し切っての盛り上がりよう。久しぶりの近況報告でみんなおしゃべりもつきない。まだまだ楽しい話,おもしろい話があったが,もうこのページもおしまい。
さて,みんなは10年後,先生にどんな話ができるだろうか?何をしてるだろうか?
(鳴和中学校 3年学年だより Pas a Pas No.17 1999.7.6)
ちなみに,このときの学級通信の名前が「Pas a Pas」。その名前をこのときの学年だよりに流用したのでした。
このクラスの学級通信「Pas a Pas」