フンの始末できんもんは犬飼うなっ!

 いやあ、この学級通信に書くことたくさんありますね。
 私はつくづくと感心してしまいます。自分で感心してもしかたないけど、世の中、いろんなことがありすぎる。しかもいろいろと怒るのは私も年かも知れません。
 うちの町内によく怒ってるおじいさんがいました。町内をよく散歩して歩いているんです。そしていろいろと目についたことを怒るんです。ゴミの出し方が悪いとか、駐車違反の車がいるとか、子どもの態度が悪いとか。うるさいおじいさんと思いましたけど、でもこの人結構長生きしてました。なにしろとにかく町内を歩く。つまり健康にいい。怒ってまわる。つまり脳みそを使わなければ怒れない。結構年寄りが怒るっていいもんだなあと思いましたよ。それに、子どもたちの名前がわかる。近所づきあいができる。
 ご近所の子どもの名前わかりますか。誰が何年生かわかりますか。町内に住む子どもを知ってるということは大切なことです。何かあったら叱れます。タバコ吸ってたら、あっ、あそこのうちの子ね、とすぐわかります。そして、町内で問題にできます。空き缶やゴミ捨ててたら、××さんちのお子さんってこの間平気でゴミ捨ててたのよ、親のしつけが悪いのよ、なんてうわさできます。すると少しは町内がよくなります。名前知らなかったらダメなんです。
サッカーをする犬だよ  ということで、年とった私は怒ります。
 それは、先週の土曜日のことでした。午後4時頃に家に帰ってきたときには何ともありませんでした。でも午後6時頃、車庫にものを片づけに玄関を出て、階段を降りていって驚きました。うちの階段のところに犬の糞があるではありませんか。しかもてんこ盛り!何考えてるんだこの飼い主は!と思いましたよ。
 うちの町内でもフン害が問題になっています。町内会の総会でも総会の議案書に「犬の糞は飼い主が始末しましょう」なんてスローガンが書いてあるくらいで、それほど犬の飼い主の態度が悪いということなのです。だから、最近では犬をつれて散歩する人はたいていシャベルや割り箸とビニール袋を持って歩いています。これが常識です。でも中には何も持っていない人がいるんです。うちの町も少しは空き地があり、その草ぼうぼうのところで用を足すならともかく、最近は家が建ち並び、アスファルトの上で用を足す犬も増えてきました。ということは飼い主が気をつけてフンの後始末をしなくてはいけないということです。
 にもかかわらず、このように人の家の塀のところなどならまだしも(そこでも悪いが)階段の真ん前にフンをそのまま置き去りにするなど、飼い主は何を考えているのだ!
 いい加減にしろよ!と言いたい。
バイクに乗る犬だよ  空き缶なら(これもお話にならん悪人だが)まだしも手でつかんで捨てることができる。しかし犬の糞をどうしろというのだ。
 飼い主に言いたい。
 あなたはこのフンを手でつかんで捨てられるのか?と。
 ほんとに困ったものである。私はフン害に憤慨している。
 私は一晩これを置いておくことにした。
 犬というのは(というより飼い主は)同じような道を散歩するものである。明日散歩した飼い主が再び私の家の前を通り、このフンを見て、少しは良心の呵責を感じることを願って。
 それでも始末してなかったら、看板を家の前に立てようかと思ったくらいだ。「この犬のフンの飼い主は、始末をしてください。」とでかでかと書こうと思ったくらいだ。
 しかし怒って書いたら文章が変だった。「フンの犬の飼い主」だった。「犬のフンの飼い主」はいないんだった!
 しかし、この考えは甘かった。次の日(つまり昨日日曜日だ)夕方家の前に出てみると、何ら変化はなし。しかも、しかもだ、今度は隣の家の車庫のシャッターの前に堂々とてんこ盛りがあるではないか。このフンのフンイキからして同じ犬である。うちならば、そのまま歩いていても気をつければ踏みつける心配はない。しかし、お隣は車を出すときに車輪で踏みつける場所だ。
花に水をやる犬だよ  よっぽどこの学級通信をコピーして町内全所帯に配ろうかと思ったくらいだ。こんな事があったので、私は鳴和中学校の学級通信に書きました。中学生を前にしてあなたはこんなことして恥ずかしくないのか!とね。
 でも、日本人は「恥を知れ」なんて言い方をしたものだが、最近はとんとそのような言い方を聞かなくなった。いったい何を恥ずかしいことと考えているのだろうか?
 だがいずれにしても、うちの町内にも結構犬がいる。少しは何らかの形で警告しないと、飼い主も気がつかないことだろう。
 これも本当に自分の家の前だったらしないことなのだ。
 空き缶やゴミをわざわざ自分の家の前や溝に捨てないのと同じで、犬の糞をわざわざ自分の家の階段や車庫の前に置いておくものがいるだろうか?
 人の家だからとか、誰も見ていないからとか、そんなことで人はいい加減なことをしてしまうものなのだ。こんないい加減な日本人が増えつつある。
no dog  みんなの家でも犬や猫を飼っているかも知れない。しかし、飼うからには責任を持ってほしい。その犬や猫に対する慈しみの感情、その犬や猫を健康に生活させてやり、その寿命を全うさせてやるという責任のほかに、自分の飼い犬や飼い猫がひとさまにご迷惑をかけないようにという配慮がほしい。
 フンの始末できんもんは犬飼うなっ!
 と私は言いたい。

(鳴和中学校 2000年度 3年6組 学級通信「energeia」第57号 2000年6月12日)

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