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Final Message

1988年度 金石中学校 3年7組 卒業文集「elan vital」
最後の一言(1989.3.15発行)

 これまで,たくさんのことを君たちに語りかけてきたような気がするし,反面全然大事なことを言ってないなあという気もするし,おまけに語ってきたことは,右の耳から左の耳へと通過し,何も残ってないんじゃあないかなというそんな気の方が強いのだけど,しつこくも,「Final Message」であります。
 しかし,毎年学級文集を出すのが趣味(?)の僕としては,最後にいったい何を書くのかというのがいつも頭を悩ませることであります。
 普段学級通信にあれこれ書いているが,たいていは業務連絡(?)であり,僕の言いたいことというよりも,言わねばならないことを書いているようなものである。せいぜいが,道徳の時間の資料にくっついている解説くらいしか,僕の思っていることが出ていない。(でもないか)
 過去には学級通信の余白に随筆風にして,最近の出来事やら,想うことなどを書いたこともあったが,なかなかうまいこと時機をとらえて,学級通信に余白ができることなんてないのだ。
 ということで何が言いたいのかといえば,この Final Message でこれまで書けなかったことを書いてしまおうということである。といってもそんなにたいしたことじゃあないけどね。
 君たちの学年と3年間つきあってきて,想ったこととか,自分の身の回りのこととか,学校あるいはもっと広く教育のこととかだ。
 少々過激(?)なことを書いても,君たちはもう卒業しちゃうし,ま,いいだろう。ということで,始まり,始まり。

酌酒與君君自寛 人情翻覆似波瀾

 僕の本籍地は京都府である。京都といっても,そのはずれ,丹後と丹波の国境にある大江山の近くである。
 あまりに遠いので3年に1回くらいしか墓参りにいかないと言うバチあたりの子孫である。
 その大江山には,昔,酒呑童子(しゅてんどうじ)という鬼が住んでいたという伝説がある。これはみんなも昔話なんかで聞いたことがあると思う。だからそのお話は省略するが,つまりはなぜか僕の筆名はときどきこの酒呑童子なのであった。
 そういえば,四国は高松に「酒呑童子」という名の酒がある(らしい)。誰か四国に行った人はおみやげに買ってきて。

 ちなみに百人一首に,こういうのがある。

  大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立

 近くには日本三景の一つ,天の橋立(あまのはしだて)もある。
 ついでに金沢からこの丹後の方へ向かって行くときには敦賀から若狭湾ぞいに行くのだが,そのとき由良川(ゆらがわ)という川を渡る。これもまた,安寿(あんじゅ)と厨子王(ずしおう)の話で有名な山椒大夫(さんしょうだゆう)の屋敷があったとされるところだ。
 昔,車で出かけなかった頃は,鉄道を利用した。このあたりの宮津線というのは単線で電化もされておらず(今もだが)気動車(ディーゼルカー)で行くことになる。敦賀の方から来た列車は由良川にぶつかると,しばらくは由良川に沿って日本海の方へ走る。そのとき,ゆったりとした水をたたえる由良川をしばらくの間眺めつつ列車は走る。海に近づくと大きく弧を描いて曲がり,由良川にかかる橋を渡る。
 そこにさしかかると,親がいつも山椒大夫の話をしたものだ。
 そうして,安寿と厨子王がいかにかわいそうだったかを語ったものだ。
 だからそういう僕は,酒呑童子にも,安寿にも,厨子王にもなにか郷愁のようなものをいだいてしまうのだ。
 そして,旅が好きなのである。
 京都府の北部の地図を載せておくのでみんなも旅に出てみよう。
 なお,地図は,高校時代に「古典」の時間の教材だった,京都書房刊の「解釈と鑑賞 小倉百人一首」(なんと当時一冊100円!)の裏表紙の百人一首関係地図と,いつも旅に出るときに使う山と渓谷社刊「ベストドライブ大阪・名古屋周辺」の地図である。
(地図は略)

 ちなみに百人一首にこういうのがある。

  由良のとを わたる舟人 かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋の道かな

勧君終日酩酊酔 酒不到劉伶墳上土

 もう一つの筆名に酩酊山人(めいていさんじん)というのがあるが,何にせよ酒に関係している。昔より酒を飲みつつ星空の下思索するというのが常であった。
 なんとネクラな。まあ僕の性格は基本的にはネクラなのである。この1年間君たちとつきあってきたわけだが,君たちにとって担任の性格もかなり分かったことであろう。
 しかし,謎に包まれた部分も多いのである。(でもないか)そこで3年前に書いた我が性格の樹形図を再録してみよう。
(これまた手書きなので省略)

 おわかりかな。まあこのようなものである。
 しかし,根本的に私はネクラであり,ネクラであるが故に目だちたがり屋であるという。
 困ったもんだね。君たちも自分の性格樹形図を作ってみたらどう?

養子不教父之過 訓導不厳師之惰

 この学校にきて3年,つまり君たちと共に3年間を歩んだ。
 これまでの教師生活が9年だ。新採用の時に1年の担任をし,その後,1,2,3,1,2,3,1,2,3ときたわけだから,実に幸運なものである。1つの学年を常に3年間じっくりとみてこれたわけだ。
 さて,なぜ教師になったのかということであるが,その動機はといえば実に不純である。
 なにこの人,ということになり,将来の進路に夢と希望を持っている皆さんに失望感を与えるかも知れないが,しかし,こういう教師もいるのである。(なに…おまえだけだよって?‥‥スミマセン‥‥)
 実は,その動機というのは,中学校にはかわいい女の子がたくさんいるからなのである‥‥なんてはずがない。
 校内暴力華やかなりし頃に,どうして中学校の教師になんかなっちゃったんだろう。不幸な僕。
 実は(この部分の文章は「実は」ばっかりで,「実話」がない。)この運命は,高校3年の時に決まったのである。
 もともと僕は,小学生の頃から「国鉄」に入って,機関車の運転手になろうと思っていたのだ。それで,大学を決めるときにも,機械関係の学部にしようと思ったのだ。しかし,いかんせん,3年生になって受験勉強というものに疑問をいだいた僕は,ろくに勉強もせず,ひたすら読書に耽けっていたのである。高3の1年間だけで文庫本が100冊もたまったとなれば,いかにお勉強をしていなかったかが分かるであろう。おかげで,難易度の高い工学部には手が届かず,それならばと,そのころ一番入りやすかった教育学部を選択したのである。
 しかし,決めてからは心をいれかえ,教師というのも悪くはないなと思ったのが運のつきで,1988年4月に金石中学校の3年7組の担任をするという大きな不幸が訪れたのであった。
 しかし,高校に入ってからもう少し真面目に勉強していれば,僕の運命も変わったんじゃあないかと思う今日この頃です。

 ここで一言
 「人間は,過去を美化したがる動物である。」

  天命之謂性,率性之謂道,脩道之謂教

 再び話は戻って,この学校にきて3年,つまり君たちと共に3年間を過ごしたわけだが,教師の世界というのも大人の世界,つまり本音やら建前やらが行ったり来たり,職場によって雰囲気も違うし,管理職というのは教頭・校長の2人だけで,縦の系列がなく,横の結び付きが強く,上下関係はあるようでないようで,一人ひとりは独立していて,自主性が尊重されるようでいて,教師は全員大学出だから知的集団であるはずで,その会議である職員会もいたって知的な議論が戦わされ,理想に燃える教師達は職員室でいつも子供達の事を話題にし,時には明るい冗談の一つも職員室で話され,毎日学校へくるのがうきうきとしていて楽しい,そんな職場が金石中学校です,と言えるようで言えないようで,さていったいこういう様に言えるのでしょうか。
 そういえば,教員の電話の応対はサイテーである。では最低の例。
 チリリーン。「はい,金石中学校です。」まあまとも。
 「坂根先生ですか?」
 おーっと,同僚にどうして「先生」なんていう敬称をつけるんだ。そんなもん「坂根ですか。」でいいんだよ。
 「坂根先生は,今日は出張で出かけられていて,おいでませんが。」
 同僚にどうして敬語を使うんだよ。そんなもん「坂根は,今日は出張でおりません。」でいいんだよ。
 まあ君たちも学校に電話をかけてみるがいい。
 どこの学校でもいいが,9割方その学校では身内に敬語やら敬称やらを使うだろう。
 普通の会社で電話の対応が「ただ今××さんは,おいでません。」なんて答えたら,いったいどういう会社なんだと思うところだ。
 僕なんぞ,礼儀知らずの若者(もう若者にはまぜてもらえませんかね)の代表みたいもんだが,言葉遣いにはできるだけ気を使っているつもりだ。
 その割にだめだという話ですが,しかし身内を「××先生」と呼ぶのは昔からの習性らしいね。
 しかし,君たちの言葉遣いもひどい。いつもあきれる。特に,修学旅行や遠足で,外へ連れて行ったときなんて,いつも恥ずかしくなってしまう。まさしく「親の顔が見たい。」という心境であり,ついでに,「こういう子を学校で育ててきたんだろうか。」という感じで,絶望的である。ほかの人に向かって敬語は使えない,語尾ははっきりしない,命令調である,とまあ絶望的なのである。
 例えば修学旅行中なら,バスのガイドさんに向かって,「ビデオ見せてまぁ」というような言い方である。こういう時なら遠慮がちに,まずは「何かビデオありますか。」と聞くのが普通であるがそういう常識なんて通用するような君たちではないし,おまけに「ねえ,ビデオ」などとビデオがどうなのかも分からない言い方が普通なのだから,まあ職員室でのものいいなどに期待なんかができるわけがない。
 職員室へ来ては「はさみ」と一言だけ言う君たちに「えっ,はさみが空でも飛んだのか?」と答えた僕でした。
 思い付くことを次々と書いちゃおう。
 この学校へ来て職員会でしゃべったことはたくさんある。
 たいていは実現せず,通らなかったので,その腹いせに(?)書いてみると‥‥

★昼食時の座席は一人ひとりが自分の場所に座って食べるのではなく,クラス独自にグループを作るなどルールを決めさせてクラス独自に取り組ませてほしい。
 実にくだらん事を会議の場で言ったのだったが,しかし反対多数により否決。
 そのおかげで僕は昼食時に45人と向かい合って教室で昼ご飯を食べるはめになり,はっきりいってせっかくの愛妻弁当がまずくなってしまった。
 にもかかわらず,何も知らない君たちは,昼ご飯の時ぐらいどうでもいいがいね,と勝手に座席を動き回り,自由な座席にしたいのなら生徒総会に提案しろ,という担任の扇動も無視して,ただ好き勝手をして,担任を消化不良にしたのであった。

★子供達の書く年賀状は禁止しないでほしい。
 くそ真面目な僕は,学級通信にこのことを取り上げ訴えた。
 だって,やはり職員会で決まったことは,自分でそれが間違いだとか,よくないとか,やりたくないとか思っても,いやいやでも君たちに伝えて徹底しなくてはならない。
 昼食時に無理矢理自分の席に座らせるのも同じ。
 それが真面目な教師のつらいところだ。
 そんな僕の武器「学級通信」で訴えたが,少しは最近規制の緩和がみられた。
 でも,君たちそんなルールなんか知らずに,あるいは無視して年賀状なんて出してるだろうけどね‥‥

★夏休みにクラスのキャンプをさせてほしい。
 これがまたまったく通らない。
 ちなみにこれまでの3つの事は僕の前いた学校では別に何もなくやっていた。
 夏休みのキャンプといえば,学級行事の中でも中心的大行事。7月にいろいろ学級会で相談して,取り組む。班をつくり,夕食,朝食の献立を自分達で考え,夜の肝だめしとキャンプファイヤーの計画をつくり,前の日にみんなで買い出しにいく。そんな中で修学旅行と同じくらいおもしろかったと言う感想がでてくる行事なのだ。
 自分でご飯も炊いたことのない君たちにはぴったりの取り組みだったんだけどね。

★通学ズックの指定はいらない。
 君たちは知らないだろうけど,来年度からは,内ばきズックと同様に,通学用のシューズも学校で統一される。もう革靴なんて有り得ないし,しかも全員が同じ色,同じ形だ。
 教育の個性化に逆行するいきかただと職員会で言ってみても,金石の生徒はみんなそこそこ「まとも」なもの履いているから規則はいらないと言ってみても,応援もなく,えーいうるさい,これ以上職員会を引き延ばすなと言う雰囲気の中で,圧倒的多数の賛成で,通学ズックの指定が決まる。
 教育ってなんなんでしょうね。

 そのほか職員会でしゃべった事は数知れない。
 まあ,自分は生徒の味方であるかのようにかっこいいことをここで書いてるが,しかしいろいろ意見を言ったことは間違いがない。
 だけれども,いつも想うのは僕がいくら職員会でかっこいいことを言ったって,かんじんの自分のクラスがしっかりしていなくては説得力がうすいと言うことだ。
 生徒達が味方でなくては言うことも信頼されないということだ。
 ところが金石中へ来て,どうも君たちの支えがない,これはまあ虫のよすぎる期待だったのかも知れないけど,君たちはなんだかんだと決まりを守らないでいて,決まりを変えようとする意志がない。
 強い力には服従するが,弱いところで反発して,根本的に変えようとはしない。
 例えば,女の先生や,僕のようにたたくのが好きじゃない教師の前ではいい加減な事をするが,生徒指導の教師の前ではいいかっこをする。
 家を出るときには帽子をかぶらぬが,校門に近づくと突然帽子をかぶるのである。
 そんなのならば帽子を廃止するようにしたほうがいい。ところが君たちは帽子廃止運動にまではいたらないのである。
 ネクタイは短く結んでいた。ネクタイの長さの決まりの無意味さに気が付いてはいた。でも君たちは,決まりを変えようとはしなかった。
 多くの事でそうだった。
 反発はしても,改革はしない。
 反抗はしても,組織はしない。
 本当は僕は君たちにけしかけていたのだ。
 君たちが反旗を翻すことに微かな望みを持っていたのだ。
 でも君たちはノラない子ども達だった。
 そして,そんな僕の真意は君たちには伝わらなかっただろう。
 こんな事も君たちが卒業してしまう今だから書けることだ。
 おもしろい学校にしたかったのだけれども,かんじんの君たちがノラなければどうしようもない。
 僕が職員会で言ったこと,変えようとしたことはたくさんある。
 行事のあり方,入学式,卒業式,文化祭の事。
 ことこまかな校則の事,いろいろ思い出せばきりがないが,まあいろいろあったってことさ。
 別に僕自身は特に偏った考えの持ち主とは思っていないし,とにかく僕が教師になってやりたいなあと思ったことは
 「子供達と遊ぶ,しゃべる,創る」
 ということだったし,そのためにじゃまになるような事があれこれとたくさんありすぎたって事かな。
 そんなじゃまになるような事は,きっとこれからもどんどん出てくるだろうし,理想だけじゃあ教師なんてやってられないということだろうし,つまりはこれからの僕のあり方がますます問われてくるということだ。
 なんてかっこいいことを言ってるけど,僕自身は,自分が適当でいい加減ということを知っているので,これから先どうしようかと,この3年ひと区切りの周期を終えるに当たって想うのです。
 だから君たちにとっても,この担任というのがなんだか煮えきらないというか,いまいち厳しくないというか,何を考えてんだか分からないというか,教師のはずが教師でないみたいというか,そんなわけのわからない存在だったかも知れないが,まあその通りだ。
 ときどき僕は同僚から,あなたは教師ではなく,ディレクター(演出者)か,プロデューサー(制作者)か,編集者かにでもなった方が向いてるんじゃないのと,ほめられてるんだか,けなされてるんだか,さりげなく教師をやめろと言われているんだか,まあそういうことなど言われたりもするが,根本的にネクラな僕は,その手の多くの人と明るくつきあわなくてはならない職業には向いていない。
 結局僕って何なのさということになるが,でもこれまでの1年間で君たちに語りかけてきたことが,これまでの1年間で僕の考えてきたことなんだと言えるのだ。
 しゃべるのがうまくない僕は,いつも君たちに自分の真意をうまく伝えることのできないもどかしさにかられていたし,理想の学校,理想の教師,理想の子どもなどと言う幻想を持ち続ける僕としては,では具体的にどういう行動,どういう発言をしたらいいのかとまたまたネクラにも悩んでいたのであるが,それでも日々おもしろかったなあと想うのである。
 僕にとっては,新しい人々との出会い,別の考え方をする人々との出会い,僕の心を揺さぶる人との出会い,そんな出会いはみなおもしろい事なのだ。


 さてここで文集の Final Message が終わってはおもしろくないみたいだが,この後,表題の漢文の解説で終わりそう。
 高校で漢文を習って,何というこれは僕の趣味にぴったりなんだ,と思ったものである。
 特に,李白や陶淵明なんかは,時として厭世的になりがちであったその頃の僕には魅力的な世界だった。
 でも考えてみれば,高校生に「一杯一杯また一杯」とか,世を離れて暮らしていく人の詩を教えるのだから,漢詩の世界は奥が広い。
 今も手元に残る漢文の教科書の中からいくつか拾うと‥‥なお解釈は各自研究せよ。
 縮小率64パーセントで当時の教科書の縮小を載せる。
 また,若干の書き込みがあるが悪しからず。
 
(教科書の縮小は略)


 酌酒與君君自寛 人情翻覆似波瀾

 酒を酌んで君とともにす,君自ら寛うせよ。
 人情の翻覆は波瀾に似たり。

 久しぶりに君と一杯傾けるのだ。
 今日だけは君もゆっくり心をくつろがせるがよい。
 当今の人情は上下変転して常なく,まるで波乱にも似たありさまだ。
 そんなつまらない世事は忘れるがよい。
 (王維「酌酒與裴迪」)

 勧君終日酩酊酔 酒不到劉伶墳上土

 君にすすむ,終日酩酊して酔え。
 酒は到らず,劉伶(りゅうれい)墳上の土。

 さあ君,十分に酩酊するまで酔うてくれ。
 いくら飲みたくても死んでしまえばそれまでだ。
 (李長吉「將進酒」)

 晋の劉伶という酒好きは,外出にあたっていつも鍬(くわ)を携えていた。
 そして酒に酔って死んだらば,そこに埋めてくれよと言った。
 しかし,その劉伶の墓土までは酒は注がれなかった。
 だから生きている間こそ,飲めるだけ飲むことだ。

 養子不教父之過 訓導不厳師之惰

 子を養いて教えざるは父の過ちなり。
 訓導して厳ならざるは師の惰りなり。

 子供をただ養うだけで,学問の道を教えないのは父たる人の過ちであり,師弟を訓導するにあたって厳しさに欠けるのは,師たるものの怠惰である。
 (司馬温公勧学文)

 天命之謂性,率性之謂道,脩道之謂教

 天の命之れを性と謂(い)い,性に率(したが)う之れを道と謂い,道を修むる之れを教えと謂う。
 天が人に授けたものを人の性という。
 その人性の自然に従うこと,これを人の道という。
 その人の道を修めること,これを教えという。
 (中庸)

 だから,教えとは決して単に知識を広め,見聞を広くするだけのものではない。

−− 愛と自由と平和のために −−

 これで「Final Message」
 なんだかんだ言えばきりがないし,僕たちの人生にはきりがあるし,だからこのあたりで僕の駄文はやめにしよう。
 何かのために,誰かのために生きる人生にははりがある。
 僕たちが死ねば,形は残らない。
 だけど,心は残したい。
 夢が僕たちに未来を与え,愛が僕たちに希望を与える。



    for Love,Freedom and Peace

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