米上げは昔,海運関係の仕事や漁業関係の仕事にたずさわっている人達によって,夏祭の際に新鮮な大鯛と共に米俵を浜の御仮殿へ献納されたのが始まりといわれている。
米俵をのせたやぐらの上で音頭をとる人は祭音頭,大木遣を唄いながら向鉢巻をした浜の若衆によってかつがれ,町内の関係ある家々を廻って神前に納められた。
大木遣の中には「今日は吉日,日柄もよいぞ,氏神様への献納米じゃ」という詞がある。
祭音頭の唄の由来は昔,越後の国(今の新潟県)と取引をしていた金石の船の船頭衆によって,江戸時代に伝えられたものといわれ,「一で乙(きのと)の」と唄い出される。「乙」とは新潟県内の地名。一から十までの間で全国の神社,仏閣が唄いこまれている。
(『 』による)
写真は
「大野湊神社 例大祭」3日目のお祭り広場
での披露の様子。
演ずるは「金石町米上保存会」のみなさん。
(撮影日 2014−08−03)