丸の内
この黒門前緑地は文字通り金沢城の北西の黒門(今はその跡のみ)の前にある緑地です。
大手堀の西側にあたります。
また,この地は豪姫(加賀藩祖・前田利家の四女)の住居跡でもあります。
写真は正門の向かい側からの眺めです。
ここは1995(平成7)年まで金沢地方検察庁検事正官舎の敷地でした。
2001(平成13)年,官舎の一部と,その土塀を廻らす屋敷構えを保存するとともに,アドレナリン,タカジアスターゼ創製で世界的に知られる高峰譲吉博士ゆかりの家屋を移築し,公園として整備したものです。
敷地内にはいると,かなり大きな桜が何本もあります。
また画面中央に立て札がありますが,ここには高峰譲吉博士由来の桜が新たに植えられています。
それには以下のように書いてあります。
「この桜は,金沢市出身で世界的科学者高峰譲吉博士の尽力でアメリカ合衆国の首都ワシントンのポトマック河畔に植樹された桜の枝から育てた木です。
博士生誕百五十周年を記念して日米親善に尽くされた博士の遺徳を偲ぶとともに博士の偉業を後世に伝えるためにこの地に植栽したものです。
平成十六年三月二十七日
金沢市
高峰譲吉博士ゆかりの会」
豪姫については同じく緑地内に次のような解説がありました。
「豪姫住居遺址
豪姫は1574年(天正2),加賀藩祖・前田利家とお松の方との四女として誕生したが,豊臣秀吉の養女となった。後に岡山城主・宇喜多秀家に嫁ぎ,備前の方と称される。
1600年(慶長5),関ヶ原の合戦に破れた秀家は徳川家康により八丈島に流され,豪姫は金沢に帰る。三代藩主利常より粧田四千五百石を与えられ,このあたりで居住したと文献は伝えている。
1634年(寛永11)5月23日,豪姫はこの地で60年の生涯を閉じた。豪姫の人生の半分は両親ゆかりの金沢で過ごしたといってよい。
金沢市」
検事正官舎の応接間からの眺めです。
案内の方のお話によれば,今年は3日ほど前が桜の見頃で,この窓からの桜の眺めはそれはそれは素敵だったそうです。
(2005-04-16撮影)
★旧高峰家★
1872(明治5)年,加賀藩の御典医であった譲吉の父(げんろく)が建てた居宅の一部で,書斎,茶室としても利用された離れにあたる。
当初,この地に近い梅本町(現 大手町)の地に建てられたが,1964(昭和39)年に解体され,この離れの部分のみが,その後,湯涌町にあった「江戸村」に移築された。この度,旧建築地の大手町に近い,この地に再び復元,移築されたものである。
★旧検事正官舎★
1910(明治43)年に兼六園下に建てられたが,路面電車敷設による道路拡幅とともに1918(大正7)年,現在地に移築された。
洋風下見板張りの応接間,格天井(ごうてんじょう)の十畳間など,当時の「近代和風建築」の特徴をよく示している。これらの接客に使われたと思われる部分を保存し,旧高峰家の離れとあわせて,一般に公開するものである。
(いずれも金沢市の案内による)
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