
末広町・山の上町
2002年春,卯辰山公園線をてっぺんの公園から山の上交差点まで歩いておりました。
歩けば,車でただ通り過ぎるのとはちがって,いろいろな風景が見えるものです。
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この道は上から下まで,ずっと桜が植えられています。
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しばらく歩くと,向かい側の天神橋側の道が見えてきます。
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ところどころ,ちゃんとした歩道がないのが欠点。
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左に見える建物は卯辰山工芸工房です。
★卯辰山工芸工房(うたつやまこうげいこうぼう)★
金沢の工芸文化の基礎を築いた「御細工所」の伝統技術を受け継いだ工芸の総合施設です。
陶芸,漆芸,染色,金工,ガラスの工房があります。また,工芸作品の展示を行っています。
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卯辰山工芸工房の前を下る道です。ここを下れば卯辰町へとたどり着きます。
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卯辰山工芸工房の駐車場の方へ行くと,こちらも卯辰町からあがってくる道。ここからは金沢の市街地が見渡せます。
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卯辰山の天神橋側です。
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では,さらに卯辰山工芸工房の前から下っていくこととしますか。
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この左のあたり,駐車場などもあります。「うぐいす台」と呼ばれています。
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このあたりは歩道も整備されていて,景色もよく,結構楽しく歩ける道です。
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これから下っていく道の際の桜並木が見えています。
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先ほど見えていた桜並木ですね。
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いよいよこれが桜並木の最後です。左にはおばあちゃんが4人,のんびりとお話をしています。
この並木の切れるところに「春日山焼窯跡」という立て札があります。
★春日山窯(かすがやまがま)★
1806(文化3)年,加賀藩が金沢奉行井上井之助などの提唱により,産業奨励のもとに京都の名工青木木米を招き,金沢春日山(卯辰山)に築窯したのが春日山窯の始まりである。
木米は春日山で試焼後一時帰京し,翌1807年,助工本多貞吉を伴って再び来沢,10月春日山で製陶を始めた。
しかし,この窯は国産啓発の事業としての色彩が強く,したがって木米は作家本来の作品としての腕をふるうことができず,また,1808年正月の金沢城大火のための藩財政の緊縮から,窯が民営に切りかえられ,待遇条件が悪くなり,同年暮れに京都へ帰った。
1820(文政初)年頃に廃窯になった。
(芳井先一編「石川県大百科事典」北國新聞社,1975 による)
山の上町
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山の上交差点に出るちょっと手前に小さなお寺がありました。しだれ桜がひっそりと咲いていました。
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このお寺には画家・高井二百(たかい にひゃく)の墓があります。
高井二百は江戸時代後期から末期の人で,南画派に属する人です。
小坂神社の宮司でもあった人です。
(以上いずれも 2002-04-06撮影)
もう一つの 卯辰山(卯辰山公園線)【山の上町側】のページへ
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