小立野4丁目
天徳院は曹洞宗(禅宗)のお寺です。
これは総門をくぐり,山門を見ています。
山門の両脇にしだれ桜が2本。
境内にはたくさん桜があるわけではありません。
これくらいかな。
山門の仁王像としだれ桜。
(2002-04-06撮影)
★曹洞宗 金龍山(きんりゅうざん)天徳院の歴史★
(天徳院のパンフレットより抜粋)
元和9(1623)年に加賀藩三代藩主前田利常(としつね)公は正室珠姫(たまひめ)菩提のため,金沢城の東(小立野台)に四万坪の敷地を定めて天徳院を創建した。
寛永元(1624)年,江戸幕府初代将軍徳川家康公が崇敬した巨山泉滴(こさんせんてき)和尚を長安寺(千葉県)より招き,天徳院第一世開山とした。
(以下略)
★珠姫★
珠姫は,加賀,越中,能登の領地百万石を治める大大名,加賀三代藩主前田利常公の正室であり,慶長4(1599)年6月11日,徳川2代将軍秀忠公の次女として生まれ,名前は珠子(たまこ),幼名を子々姫(ねねひめ)といった。
同年,前田家では藩祖利家公が亡くなり,2代藩主利長公が加賀の国へ帰り藩政を治めていた。
その間には前田が徳川を討つという噂が流れ,家康公は大変驚き,軍勢を集め前田を攻めようとした。
この情勢を聞いた利長公はすぐ国家老を派遣して,前田家が徳川家にはむかう計画は一切ないことを説明し,その証としてやむなく利長公の母芳春院(ほうしゅんいん=お松の方)を人質として江戸に送り,かわりに珠姫を嗣子利常の嫁として受けることを約した。
慶長6(1601)年,珠姫3才のとき加賀の国(金沢)へ輿入れ14才で結婚,三男五女を立派に育てられた。
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