尾山町
尾山神社には「兼六園菊桜」が2本植えられています。
まずは神門を入ってすぐ右手に,「兼六園菊桜」が1本見えます。
ここに植えられることになった由緒については,この境内にある説明書きを写しましたので,お読みください。( 下にあります)
全景を写してみました。撮影日は2004年4月30日。
八重桜ですので,お花見の季節が終わったあとに満開になります。
少し近づいて花を見てみました。
また,そこには「兼六園菊桜」の解説もあります。
同じ1本目の「兼六園菊桜」です。
この説明書きの写しが 下にあります。
こちらがもう1本の「兼六園菊桜」で,本殿の右脇にあります。
朝日が逆光になってしまいました。
もう1本の桜から,先ほどの神門近くの桜を見ています。
この桜の近くには加賀藩の初代藩主前田利家像があります。
これが前田利家像です。
背中につけている丸くふくらんだものは母衣(ほろ)と言います。
流れ矢を防ぐために鎧の背にかけた布です。織田軍団の母衣衆の一つが前田利家を筆頭とする赤母衣衆でした。
(上の9枚:2004-04-30撮影)
金沢では染井吉野が満開の4月に撮影しました。
これから咲こうとする菊桜です。
(上の2枚:2005-04-14撮影)
本家本元の兼六園の「兼六園菊桜」はこちらのページです。
尾山神社の神門付近の桜はこちらのページです。
お天気のいい日の朝,通勤途中に通りかかり,手持ちの携帯電話で撮影しました。
4月は下旬の27日です。いつもこの桜は4月下旬に満開です。
手前の桜にピントを合わせ,後ろをボケ気味に撮影しようとしたら,この携帯電話は後ろの神門にピントが合って,肝心の桜がボケています。せっかく撮ったので,そのまま掲載。
(上の3枚:2007-04-27撮影)
★尾山神社菊桜の由緒★
兼六園内の千歳橋付近にあった桜は,もと「御所桜」といわれ,江戸時代後期に京都御所から前田家に下賜されたと伝えられ,昭和三年に国の天然記念物に指定されました。この菊桜は,兼六園一というより日本一の兼六園菊桜です。
天然記念物の兼六園菊桜は,昭和四十五年枯死致しましたが,昭和十年ごろの積雪により折れた枝を,当時兼六園園丁であった田中大二郎さんが,涌波町の田上清勝さんに接ぎ木を依頼し,これが成功しました。
そして育てられた菊桜の枝を,友人である笠舞町の西野安松さんが山桜に接ぎ木し,昭和五十九年秋に私が西野さんから譲り受け大切に育ててきました。名木を守り継いで七十年,下賜された前田家にお返しするために,加賀藩藩主前田利家公を始め,歴代藩主公を奉斉するこの尾山神社に,宮司の許可を得て二本の菊桜を寄進することとなりました。
この菊桜は,三百枚を優に越える花弁を付けるのが一番の特徴です。二つ目の特徴は,開花から落花までの間に,花の色を三回変える事です。初めは深紅,咲き始めると薄紅となり,落花のときは白く変わり,最後は花弁が散るのではなく,柄を付けたまま落花します。
花期は,四月二十日頃に蕾が膨らみ始め,月末に満開となり,五月中旬まで残花が見られます。
献木者 池内 信彦
平成十五年二月二十七日
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