分類:バー
所在地:金沢市片町2丁目13−13−9
(新天地の一角。片町方面からは新天地の一番奥)
探検時期:2019年4月
今回の探検目的:宴会の3次会
今回のお品書き:5人でやって来て,4人はテキーラなどの濃い酒を各1杯。
自分はウィスキー(サントリー角瓶)をボトルキープ
今回の所要経費:総計12200円だったはずだが,明細は不明
探検隊の報告:
久しぶりの「ラストワルツ」である。
そして,「ディープな金沢探検隊」である。
1次会が豪華「つば甚」だったが,その後はアメリカから来た2人も交えての「ディープな金沢探検隊」。
2次会は「やきとり横丁」の「島やん」に行き,次の3次会は「新天地」に行きますかとやって来た。
それが久しぶりの「ラストワルツ」だった。
そして,驚いたことに,あのマスターがいなかった。
「この店にいない」というのではない,「この世にいない」のだった。
紆余曲折の末にこの店を引き継いだ新マスターによれば,彼は半年ほど前に病気で他界したらしい。名前が自分と同じ「こういち」で,しかも,まだここ「新天地」ではなく,犀川大橋近くに店があった頃から通っている身としては,長髪で,人なつっこい彼の顔を思い出すのだった。
自分が初めて「ラストワルツ」に来たのはもう30年も前,1980年代の後半であった。
ジャズをぼけっと聴くなら「ヨーク 」で,ロックをぼけっと聴くなら「ラストワルツ」ということで,お気に入りの店だった。ボトルもずっとキープしていたが,久しぶりに行っても,覚えていてくれて,ボトルはいつも瓶はそのままで,中身だけを継ぎ足しをしていたのだった。
今夜は昔のボトルがあるか尋ねたが,すでにない。そこで,ここではお決まりの「角瓶」を新しく入れることにした。
この夜の「ディープな金沢探検隊」の一員のアメリカから来たケイ女史が「ローリング・ストーンズ」をリクエストし,
「ミック・ジャガーっていいよねえ。」
と語る。
そういえば,この「満腹探検隊」には「ラストワルツ」のページがなかった。これまで何回も来ているはずだが,なかった。
というのも,もっと本格的にこの「ラストワルツ」を紹介するページを「おすすめの金沢 」の中に独立して作ろうと思っていたからだった。「ラストワルツ」の公式ウェブサイトはあったが,自分なりに紹介するページを作ろうと思っていたのだった。そんな話をマスターにしようかと思っているうちに,彼はすでに帰らぬ人となっていたのだった。
昔のデータをひっくり返すと,いくつか携帯電話に付属のカメラで撮った画像があった。
今はなき「こういちマスター」に敬意を表して,それを載せておこう。
一体誰とどのような経緯で来たのかはすでにほとんど記憶にない。
(←2007年11月)
古くは2007年の画像がある。「満腹探検隊」発足2年目である。
それは昔からのサントリーの「角瓶」で,相変わらずの「PKP」のラベルが貼ってある。
お通しはいつもあの「こういちマスター」が何だか変わったものを出してくれた。
(2007年11月頃のサントリー角瓶のボトル→)
2007年はと言えば,市役所に出向していた頃で,このボトルのラベルも下の方には確か「りかこ」なんて女の子の名前のラベルがついていたような気がする。
彼女は東京から金沢に研修に来ていたのだった。
彼女を交えた宴会の何次会かに彼女を誘ってやって来て,ちょうどボトルが切れて,彼女が記念にサインをしたのだった。
「rikako@kanazawa」なんていうラベルがずっとついていたなあと思い出した。
そういえば「りかこちゃん」は20代だったと思うが,やたら酒が強かった。
この角瓶のボトルもすでに処分されたらしい。
こんな風に,女の子と一緒に来てみたり,仲間を誘って来てみたり,そして,一人ふらりとやって来たりしていたのだった。
そういえば,昔は壁にたくさんのインスタントラーメンの袋がぶら下がっていた。その中からお気に入りを持ってきて,マスターに「これ作って」とリクエストするお客もいた。確かそれが500円だった。
あまり金沢のスーパーマーケットでは見かけない珍しいラーメンもあった。
すでに今はない。
こういちマスターが
「こんなもん(つまりインスタントラーメン)を注文する人がいるんだよねえ。なんでこんなもん注文するんだろ。俺はしないけどね。」
などと,売っている本人が言っていたのを思い出す。
(←2012年5月。暗くて,携帯電話のカメラでなぜか赤く写る)
「昔はインスタントラーメンがたくさんあったよねえ。」
と言うと。新マスターは
「彼(こういちマスター)が,『こんなもん,体に悪い。』って言ってやめちゃったんですよ。」
と笑いながら言う。あのインスタントラーメンも,この店の名物(?)だった。
(2016年5月。はて一体誰と,どういう経緯で来たんだったやら→)
お客さんが少ない夜には
「何かリクエストある?」
なんて聞かれたものだ。
「じゃ,『フリートウッド・マック』を。」
と言うと,
「あの可愛い2人の女の子が好きなんでしょ。」
と,図星をさされたこともあったねえ。
あのボーカルの「ロックの歌姫」とも呼ばれるスティーヴィー・ニックスも自分よりも年上だから,いまや70歳を超えている。
妖艶な歌姫も年を取り,そのファンの自分も還暦を迎え,「こういちマスター」はあの世に行く。
いやはや,時は流れるものである。
この店で多くの人たちと語らったなあ。
そして今夜もまた,何のご縁か,「ディープな金沢探検隊」と称して,アメリカからやって来た2人と共に呑んでいる。
これからもまた,自分が元気である限りは,この「ラストワルツ」にもやって来るんだろうなあ。
そんな「ディープな金沢探検隊」であった。
探検時期:2019年6月
今回の探検目的:宴会の5次会
今回のお品書き:3人で1杯ずつ飲む
今回の所要経費:総計3300円だったはず
探検隊の報告:
またもや「ディープな金沢探検隊」である。
時刻はすでに午前1時に近い。先ほど「中央味食街」の「そのちゃん」を出て,いよいよ5人いた隊員が3人となり,どうせなら近いここ「ラストワルツ」に行くか,とやって来る。5次会である。
ここは花金とあってか,カウンター席はかなり埋まっている。で,お客さんに一つずれてもらい,3人でカウンター席の入り口に近い方に座る。
飲んだのはボトルキープの角瓶のロック。お隣ケイ女史はワインだったか。
これまで見たことない,若い男の子がカウンターの中にいる。
おつまみに出てきたのはチーズと自家製セロリの糠漬け。それとなんだか辛いやつ。名前を聞いたのに忘れている。
それにしても,なぜにこの携帯電話は赤く写るのか。確かに照明はかなり赤っぽかった。だが,それに輪をかけて赤く写る。どうもホワイトバランスが悪いらしい。古い携帯電話であるが,カメラ機能は当時としては最高水準だった。だが,ホワイトバランスを「オート」のままにしていつも使っているが,時々赤っぽくなるのだった。あまり考えずに使っているが,ここの照明が電球色中心のせいだろうか。
そういえば,「ザ・バンド」の全盛期は自分が中高生の頃で,当然レコードの時代,その頃の「ザ・バンド」は知らない。
「ザ・バンド」の「ラストワルツ」を知ったのも,ここ「ラストワルツ」に来てからである。
この「ラストワルツ」のおかげで「ザ・バンド」を知り,この店で「ラストワルツ」の映画の映像を見たような記憶がある。
おかげで,「ラストワルツ」のCDを探して,買ったのも,この店のおかげである。
しかし,この夜は,この店で何を語ったのだろう。結構ぼけっと画面を見ていた。賑やかなロックが流れる花金の「ラストワルツ」だった。
そして,またもや1杯だけで店を去る。
つまりは午前1時を回って,さらにもう1軒6次会に行こうということなのであった。
「ディープな金沢探検隊」は,1杯だけ飲んでは次々と酒場という森の中をさまよい,次の居場所を求めて探検に出かけるのであった。
探検時期:2019年11月
今回の探検目的:宴会の2次会
今回のお品書き:ボトルキープの角瓶をロックでいただく
今回の所要経費:1000円
探検隊の報告:
「ディープな金沢探検隊」の2次会である。
1次会は同じく「新天地」の「金沢中央味食街」の中の「うまいぞいや哲」。
当初の予定に反して,5時間以上も「うまいぞいや哲」に逗留してしまった。最後にそこを去ろうとしたときに,店をのぞいて,入れなくて断られたカナダからの旅人2人をなぜか誘って,総勢7人で「ラストワルツ」にやって来る。
「ラストワルツ」に来るのはいつも最低でも3次会,ひどいときには5次会やら6次会なのだが,2次会から来るなんて珍しい。それもこれも上述のように1次会の「うまいぞいや哲」に5時間以上もいて,すでに11時を回っているからである。
今年4月の「ディープな金沢探検隊」で,この「ラストワルツ」に連れてきた,アメリカから来ているケイ女史が,この「ラストワルツ」をえらく気に入ってしまい,「今夜も必ずここに来たい」ということでの訪問である。
金曜の夜だが,先客が1人。彼にはちょっと場所を移動してもらって,テーブルに4人,カウンター席に3人と,この7人が近くになるように座って,適当に飲み物を注文する。
このカナダからの旅人2人はバカンスで日本に来ているらしく,東京や大阪なども巡り,今夜は金沢に泊まるらしい。そんな2人とカナダの話やらを聞きながら夜が更ける。
最後の支払いは各自でだが,ビールもジュースも熱燗もみな1100円らしい。自分だけボトルがあるので1000円であった。
そうそう,今夜は飲み物の写真を撮るのを忘れた。代わりに店の雰囲気の写真を撮っていたので,それを載せておく。
最初の写真はカウンター席から見る入口側。次は反対の奥の方。そして右下は外から見た入り口。
この店も犀川大橋近くの「犀川会館」の2階に開店したのが1987年4月だが,これは自分が2つめの職場に異動して2年目。その時の同僚に連れてきてもらったのがきっかけだった。
以後常に角瓶で「PKP」のサインを入れてボトルをキープしていた。
この新天地のこの場所に移動してきたのは,店を開いてから17年ほど後の2004年7月24日のことらしいが,そのあとも,何回も来た。
そう言えば移転した場所を知ったのはどういうきっかけだっただろう。インターネットがまだまだ普及しているような時代ではなく,ネットに情報が載るなんて事もなく,スマホなんてまだ誰も持っていないような時代だったから,いや,携帯電話はあってもスマホはまだない時代だったから,前の店に張り紙があったような気がする。その移転のお知らせを見て新天地にやって来たような気がする。
そんな「張り紙でお知らせをする」なんて昔の時代を懐かしく思うようになるのも,年をとったせいか。
いや,今はあの世にいる,あの「こういちマスター」のことを懐かしく思う。
探検隊おまけの報告:
あの頃の壁のインスタントラーメン。
昔の公式ウェブサイトの写真です。
撮影はおそらく「こういちマスター」
このラ−メンの量は少ない方で,前は壁際に2m四方くらいのスペースがあり,そこに多種多様なインスタントラーメンの袋がつるされていました。
探検時期:2022年10月
今回の探検目的:宴会の2次会
今回のお品書き:4人で行って各自1杯ずつ呑む
今回の所要経費:確か合計5500円
探検隊の報告:
2年ぶりに行ったらボトルは流れていた。
そりゃそうかも。
それに値段も高くなったもんだなあと思う。
そりゃいやだなあ。
今日はハロウィン直前の土曜日。「満腹探検隊」のいつものアメリカから来たケイ女史と共に8人で木倉町の焼肉パーティーのあとの2次会である。8人のうち4人が木倉町から新天地に繰り出し,最初には「中央味食街」の「うまいぞいや哲」がいいんじゃないのとケイ女史が顔を出したが,「仮装した者は店には入れない」という大将の方針で,ケイ女史は引き返す。いや,そもそも4人は入れなかったようなので,あきらめたと言うべきか。
「じゃあ,新天地なら『ラストワルツ』に行くか」と言ってやって来たのだった。
テーブル席は「予約席」となっていたので,カウンター席に4人並んで座る。
前にあったボトルがないかと聞いたが,すでにないらしい。8000円近くで入れたはずで,確実に5000円分は残っていた角瓶だが,マスターは時間が経っていたらテイスティングしてみて,ダメなら捨てると言っていた。
我が家にあるウィスキーのボトルなんぞ,一体何年前からあるかわからないが,捨てたことはない。アルコールは若干蒸発するかもしれないが,1年や2年で味が悪くなっているとは思えないからだ。
昔のバーでは「ボトルキープは3か月まで」なんてのがよくあったから,これなんかはお客を引き寄せるための作戦だったのだろう。前のこういちマスターの時は「ボトルキープは6か月」となっていたが,その期限にかかわらず,いつも残しておいてくれた。
それに今ここはボトルがあっても全然値段が安くならない。普通に店のボトルで呑んで1100円で,ボトルがあったら1000円だから,すぐに流れるボトルキープなんぞはしない方がいいという結論になる。
ボトルキープしたとしても,何にもメリットがないのである。ただ単にお店にお金を落とすだけになってしまう。8000円のボトルキープには何の意味があったのだろうと,今にして思う。
ということで,今日の酒は数種類あるウィスキーの中から,名前は忘れたが,味わいの深い酒のストレート。ショットグラスでいただく。
まあ,ここは酒を呑むというよりも,ロックを聴くというのが主の店だから,もうボトルキープはしないことにした。音楽を楽しもう。
今夜もミックジャガーが流れ,ケイ女史が「いいねえ。」と言っている。
おつまみは乾き物。うちでの通称「ねじねじ」が出てきた。
「ねじ,ねぇ〜じ〜」は金沢弁。「ねじねじ」は我が家の方言か。
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更新情報
探検隊さらにおまけの報告:
以下は昔のラストワルツの公式ウェブサイトの残骸です。
「こういちマスター」があの世へいって50年経っていませんので,著作権は「こういちマスター」にあると思いますが,ここではこのサイトがなくなる前に,彼への追悼の意を込めて,画像の残骸を拾って掲載しました。
これは「新天地」に移転して以降のウェブサイトの内容となっています。
まずはトップページ。
「インフォメーション」のページ。移転したお知らせが書いてありますね。
「金沢片町ではや23年」とありますから,1987年開店から23年後でこれは2010年の記述。その頃の残骸ですね。
「お品書き」のトップページ。以下,飲み物,食べ物,宴会コースと続きます。
当然ですが,当時のお値段なので,今はまったく違います。
所在地です。今もこれは変わりません。
これ以下にも「ギャラリー」「リンク」「掲示板」なんてページもありますが,これらは肖像権にも引っかかりそうなので,掲載していません。
まあ,この公式ウェブサイトの残骸そのものも著作権に引っかかってるだろうけど,「こういちマスター」が生きた証として載せています。
「マスターQ」の冥福を祈る。